坂本龍馬 龍馬脱藩の道(坂本龍馬2) 中城家、才谷屋(坂本龍馬3)

旧:東津野村(現:津野町)(2005年10月撮影)
津野山神楽とお茶の町
東津野には、茶所があり村人が交代で接待を行っていた。
旅人は自由に泊まることができたというが、龍馬の決死の心は立ち止まることを許さなかっただろう。

茶所(2005年10月撮影)
←布施ヶ坂峠 頂上付近
東津野、檮原を有する山深い津野山郷は、土佐と伊予の国境であり、
峠は急峻でわずかな獣道のつながるばかりであった。

新しい世の中を創ることへの大志... 熱き鼓動...
(2005年10月撮影) 
坂本龍馬を育んだ土佐の山野。
脳裏に焼き付け、脱藩の一歩を力強く踏み出して行ったのだろう。 

Lapinが幕末に生きた女なら、おまさんに、無病息災の珊瑚根付と握り飯。
持たせてやりたかったと思うた。
ここから下は2013年7月 梼原町にて撮影(とっても暑い日でした・・・)
(2013年7月撮影)
維新の門群像建立趣旨

 近代日本の魁となった土佐勤王党の志士の偉業は、筆舌に尽くし難く、誠に偉大なものであります。
 維新の里といわれる檮原からも、吉村虎太郎、那須信吾、那須俊平、前田繁馬、中平龍之助、掛橋和泉の六志士を輩出し、又、維新回転の立役者である坂本龍馬も風雲急を告げる中、盟友中村惣之丞と共に当地の那須邸に投宿し、酒を酌み交わしながら時局を談じた後、那須父子の案内で韮ヶ峠を経て土佐を脱藩し、維新回転の奔流に身を投じました。
 これに前後して、土佐勤王党の数多くの志士たちも、宮野々関門を経て九十九曲峠を越え、激しい時代のうねりの中に次々と散華してゆきました。
 封建社会から近代社会への黎明を告げた彼ら明治維新の志士たちの偉大な功績の顕彰と、過疎、高齢化社会の現代にあって、農山村は今や崩壊の危機に瀕しており、このような中で時代を担う若者たちに、この伝統と誇りを持ち、更なる地域の発展を願って、平成四年八月三日、維新の門群像建立委員会を組織し、八志士の群像の建立地を、日本最後の清流四万十川源流、梼原川の高台であり、志士たちの旅立ちの地でもある、此所和田城址と定め、募金活動を進めてまいりました。
 そして、この趣旨に御賛同賜り貴重な浄財を御寄せいただきました全国各地の皆様方の熱き思いは、寄付金総額103,734,814円となりました。
 又、群像製作を担当されました浜田浩造先生には、緻密な時代考証と優れた芸術性をもって渾身の情熱を注がれ、昼夜を分かたぬ御努力の中で、立派に完成いただきました。

坂本龍馬 龍馬脱藩の道(坂本龍馬2) 中城家、才谷屋(坂本龍馬3)
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