<伝長宗我部氏一族の墓>
場所:南国市岡豊町小蓮(番地不明の山の中)
県道384号線沿い、岡豊山登り口より西へ約200m地点を南へ入る。(2015年4月27日更新)

矢印方向に巾の狭い道路があります。

民家奥の作業小屋脇に赤い小さな案内板が見えます。↓


案内板に従って小道を進むと、奥にコンクリート製の橋が見えてきます。↓

伝長宗我部氏一族の墓

岡豊山から西や北におりる谷間一帯には、玄陽院・瑞応寺・東谷庵などの寺院跡があり、長宗我部氏代々の墓所が残っている。
20数基の墓はごく粗末なもので、連綿20余代に及んだ長宗我部氏の歴史を物語るにはあまりにも貧弱なものである。上段には国親又は信親と言われる墓碑があり、下段には累代の墓が立っている。
ちなみに元親は長浜天甫寺山にあり、長男信親の墓は長浜雪渓寺境内に、次男親和の墓は累代の墓の東方50メートルの所にある。
三男親忠の墓は土佐山田町神通寺にあり、四男盛親は大阪夏の陣に出陣捕らえられて京都六条河原で斬られ、今は京都五条時町蓮光寺に眠っている。

南国市教育委員会




画像左手が一段高くなっており、そこに小さな祠が有ります。
その祠は近隣の住民の間で、「信親さま」といわれているそうです。